Posted 4 months ago
6 :名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/05/12(木) 16:34:14.36 ID:yKb5XMzX0

>アスガルド ヨルムンガンド ユグドラシル ニブルヘイム


秋田人の会話かと思った









98 :名無しさん@涙目です。(長屋):2011/05/12(木) 16:51:56.65 ID:q/7QZC1q0


»6 
秋田人A「あすがるど?」
秋田人B「よるむんがんど」
秋田人A「ゆぐどらしる!?」
秋田人B「にぶるへいむ!!」







134 :名無しさん@涙目です。(catv?):2011/05/12(木) 17:00:44.45 ID:tvcijKnc0


»98 
「あそこ いけるか?」
「とてもちかよれない」
「雪をどかせるか?」
「今日はよく冷えるぜ」
Posted 4 months ago

黒猫亭: なんで間違いを間違いと指摘したいんだろうな? 寡聞にして「間違いを指摘するのは当たり前のこと」以上の理由って聞いたことがない。そこで思考停止しているからわからないんじゃないのかね。

どらねこ: 「間違いを間違いと指摘できる世の中が正しい」と謂う信念をお持ちの方も多いんだと思います。科学の領域ではそれが当然ですから。でも、人間や社会はいきなり変わるものではありませんから、一般社会がその方向に変わっていくとしても、間違いを指摘する場合のソーシャルスキルのようなものが要求されると思います。

黒猫亭: 「それが正しいんだから聞くべきだ」と謂う料簡で何ら配慮もなくズケズケ物を言って話が通じるなんて、そんな簡単な話はないよ。科学の領域と謂うのは人間にとって窮めて異質で特殊なのだから、科学の流儀が人間社会で採用されることなど、人間が人間である限り金輪際あり得ない話だよな。

Posted 4 months ago

むいみ: たとえば「科学的に正しい理解に至らないと、また別のニセ科学に引っかかるから、平易に説明しちゃダメだ」みたいな意見もあるよね。

黒猫亭: オレはそれは欲張りすぎだと思うよ。たしかにニセ科学批判には啓蒙乃至啓発的な役割が期待されているけど、それは飽くまで自由意志で情報を受け容れようとする人々が対象でさ。そう謂う気になってもらおうと努力するところまでは必要だろうけど、現実にはそうでない人のほうが多いわけだよね。そう謂う相手に対して「教育の押し売り」みたいなことまですべきなのかと謂えば、オレは違うと思う。

むいみ:そうだなあ。ぼくもそういう態度の人がどんなに正しいことを言ってても聞こうかなと思わないと思う。科学的な訓練を積むのには、かなり長期間にわたって大きなコストを払う必要があるわけでしょ。今大人の社会人が「これが必要なんですよ」って言われたからといって、すぐにそんなコストが払えるかといったら絶対無理だもん。

黒猫亭: 普通の大人の社会人は教育や訓練に充てられる時間が限られているんだよ。教育期間を経て一旦社会に出てしまったら、普通の社会生活を送ることにほぼすべてのコストを要求されちゃうわけだよね。遊んでる時間だって、社会生活の息抜きと謂う側面があるんだから、その余暇を勉強に充てるべきだと主張するほうがそもそも無理筋だよ。

むいみ: うん。大人でも仕事とは関係ない勉強を熱心にしてる人はたしかにたくさんいるんだけど、それは受験勉強とは違ってうるさく成果を問われない自由な勉強がおもしろいからだろうし、そもそもおもしろいと思う内容って人によって偏りがあるし、強制じゃないから習熟度もバラバラだったりすると思うんだよね。

黒猫亭: ニセ科学批判は「負け戦」とか「もぐら叩き」に喩えられることが多いんだけど、それは受け容れるべき大前提だと思うんだ。たしかにその場で納得させてもまた次に何かに引っ懸かる人は多いんだろうけど、それはその都度対処していくしかない。赤の他人様を無理矢理教育することなんて出来ないし、そんなことに大義もない。少なくとも個別の対話の場面ではね。

むいみ: 「勉強すべきだ」って言ってる人の主張って、勉強する時間的余裕がなかったり苦手だったりする人のことを最初から切り捨ててるよね。単にそれは「このくらいのことがわからないのはダメだ」という価値観を主張してるだけにすぎないような気がする。

Posted 4 months ago

黒猫亭: 今みたいな状況では普通は冷静でいられないし、不安な人々の主観的現実のうえでは死活問題だろう。それが国民の大多数と謂うことになれば、そう謂うマッスに対してネットの短く狭いリーチで「集合知を見てください」とやっても今まで以上に効果がないのは当然だろうな。

どらねこ: そのくらい間口が広くなってくると、ニセ科学批判で使われる科学的な専門用語の難解さも理解の妨げになっているのかも知れませんね。本来は科学的な正しさを大事にしたいと謂う理由なんでしょうけれど、その正しさに拘る剰りに、必要以上に用語や定義の正しさを要求する批判者も居るのかも知れません。

むいみ: いや、でも対話をするうえで前提となる用語や定義をすり合わせることはとっても大事だよ。その前提が食い違うことで対話がかみ合わなくなることはよくあるから。

どらねこ: 私もそう思います。ただ、既に用語や定義を熟知している批判者は大きなアドバンテージを持っていると思うんですよね。そうすると双方で立場の非対称性が有るわけですから、指摘される側は相手に完全にコントロールされたような気持ちになる様な気がします。そうなると、本来訴えたかった意見を封じられた様な気持ちになるのかな、と思います。

むいみ: そうね、そもそも科学的な議論に必要な素養となる用語や定義を学習してない立場の人は、科学についての議論では完全にアウェー感があるのは当然だし、それを「ずるい」「公平じゃない」って思う気持ちはあるのかもしれない。

黒猫亭: 科学的な正しさってたしかに大事なんだけどね、要は情報に求められる厳密さのレベルってあるわけじゃん。このレベルの話をするのに、そのレベルの厳密性は必要ない、とかさ。要はタームってお互いの認識を摺り合わせる方便に過ぎないんだから、極端な話、その場面で求められる精度で相手と自分の間で話が通じればそれで用が足りるわけ。

どらねこ: 「専門用語」は、その名の通り専門家同士の議論でこそ効果を発揮するモノですよね。でも、科学的知見の客観的な正しさはその種の厳密性に依拠しているわけですから、ニセ科学の言説や理論を批判する場面では、ギャラリーに向けた情報発信の意味でも、やっぱり科学的な厳密性が必要なこともあるでしょうね。

むいみ: 「ニセ科学批判」ではしばしばその専門用語が注釈なしで出てくる場面があるよね。科学的な正確さを担保する用語・定義の厳密さと、科学的な専門訓練を積んでない人々との対話で必要十分な精度の見きわめ、そのバランスがむずかしいよね。

黒猫亭: そこはニセ科学批判の先人たちが常に悩まされてきた問題で、一朝一夕に「これが答えだ!」と謂う究極の解法なんかない部分だよな。特定の対話の場面で特定の相手との間合いを常に測っていくしかないから、個々の論者の判断力や対話スキル、それと対話相手の属性と謂う一回性の強い要件に投げ返されてしまうところだな。

Posted 6 months ago
Posted 6 months ago
Posted 6 months ago
Posted 6 months ago
Posted 6 months ago
Posted 6 months ago