黒猫亭: 今みたいな状況では普通は冷静でいられないし、不安な人々の主観的現実のうえでは死活問題だろう。それが国民の大多数と謂うことになれば、そう謂うマッスに対してネットの短く狭いリーチで「集合知を見てください」とやっても今まで以上に効果がないのは当然だろうな。
どらねこ: そのくらい間口が広くなってくると、ニセ科学批判で使われる科学的な専門用語の難解さも理解の妨げになっているのかも知れませんね。本来は科学的な正しさを大事にしたいと謂う理由なんでしょうけれど、その正しさに拘る剰りに、必要以上に用語や定義の正しさを要求する批判者も居るのかも知れません。
むいみ: いや、でも対話をするうえで前提となる用語や定義をすり合わせることはとっても大事だよ。その前提が食い違うことで対話がかみ合わなくなることはよくあるから。
どらねこ: 私もそう思います。ただ、既に用語や定義を熟知している批判者は大きなアドバンテージを持っていると思うんですよね。そうすると双方で立場の非対称性が有るわけですから、指摘される側は相手に完全にコントロールされたような気持ちになる様な気がします。そうなると、本来訴えたかった意見を封じられた様な気持ちになるのかな、と思います。
むいみ: そうね、そもそも科学的な議論に必要な素養となる用語や定義を学習してない立場の人は、科学についての議論では完全にアウェー感があるのは当然だし、それを「ずるい」「公平じゃない」って思う気持ちはあるのかもしれない。
黒猫亭: 科学的な正しさってたしかに大事なんだけどね、要は情報に求められる厳密さのレベルってあるわけじゃん。このレベルの話をするのに、そのレベルの厳密性は必要ない、とかさ。要はタームってお互いの認識を摺り合わせる方便に過ぎないんだから、極端な話、その場面で求められる精度で相手と自分の間で話が通じればそれで用が足りるわけ。
どらねこ: 「専門用語」は、その名の通り専門家同士の議論でこそ効果を発揮するモノですよね。でも、科学的知見の客観的な正しさはその種の厳密性に依拠しているわけですから、ニセ科学の言説や理論を批判する場面では、ギャラリーに向けた情報発信の意味でも、やっぱり科学的な厳密性が必要なこともあるでしょうね。
むいみ: 「ニセ科学批判」ではしばしばその専門用語が注釈なしで出てくる場面があるよね。科学的な正確さを担保する用語・定義の厳密さと、科学的な専門訓練を積んでない人々との対話で必要十分な精度の見きわめ、そのバランスがむずかしいよね。
黒猫亭: そこはニセ科学批判の先人たちが常に悩まされてきた問題で、一朝一夕に「これが答えだ!」と謂う究極の解法なんかない部分だよな。特定の対話の場面で特定の相手との間合いを常に測っていくしかないから、個々の論者の判断力や対話スキル、それと対話相手の属性と謂う一回性の強い要件に投げ返されてしまうところだな。